シュプリーム帝王学

STUDY OF HOW TO BE A GOOD EMPEROR ABOUT SUPREME
February 28th, 2011



シュプリームはなんて素晴らしいブランドだろう。

言うなれば、まさしくみんなの理想郷、絶対的栄光、この世のすべて。
定番でいて攻めの姿勢を崩さず、ストリートを牽引しつつトラッドを尊重している、軸がしっかりしているからこそフットワークが軽い。

しかし、それはあくまで客観的視点からの見解に過ぎない。

シュプリームというブランドは時代の変化を鋭く察し、その時代ごとのスタイルアイコンを見出してきた。

例えばそれは、ケイト・モスであり、ヴィンセント・ギャロであり、ハーモニー・コリンであり、マルコム・マクラーレンであり、そして今はレディ・ガガ。
もちろんカーミットも。



↑↑↑ うわっ、なんだこれっ!!

セサミストリート好きだったなぁなんて思い出す。
  
ニューヨークを象徴するファッションブランドはたくさんある。
ラルフローレン、カルバン・クライン、ジェレミースコット、バンド・オブ・アウトサイダース、J.CREW、BESS NYC、DEE & RICKEY、10 DEEP、‥‥

個人的なイメージだが、SUPREMEというブランドはもはやMTVとかペプシコーラとかアップルに似てる。
タイムズスクエアの電光掲示板に広告出してそう。
それは卓越したロゴだけが光れるネオン街。 


きっと世界中に俺みたいなのがたくさんいて、そういう輩がいる限りブランドは存続し、信者は信者を呼び神聖で洗練されたブランドにより磨きをかける。
まるで小さな雪玉が転がって徐々に雪玉が大きくなって勢いも増していくように。
雪玉は家々を破壊し庶民の生活を圧迫するのか、それとも何も破壊せず断崖絶壁から海に落ちるのか、はたまた新しいプラネットを築くのか。

FACEBOOKで世界中の人と感覚を共有できる時代。
「これの良さわかる人いるかなぁ」「俺が考えていることを具現化できたら革命起こせるなぁ」とか考えている世界中の悩める孤独な唯我独尊主義者はもうすぐ絶滅するかもしれない。
間違いなく同じことを考えているやつは世界のどこにでもいるからだ。  
山本耀司は80年代初頭、「こういうのが好きな人が絶対いるはずだ」と、ボロルックやカラスルックを引っさげてパリへ渡ったという。
まさしくパイオニアだ。

ネットにつなぐと無数に他人のアイデアが転がっている現代。
軸がないと情報中毒にしかなれない時代。
 
気づかない、比較しない、差別しない。
フットワーク軽く、自ら移動し体験する、縁を信じる。

アダムスミス唱える「見えざる手」がどんどんオープンになっていく。
作用と反作用の繰り返しがスピードを増していく。

SNSから派生した中東の革命、未だSNSを制限する新興国中国、そしてSNSによる何名かの億万長者を輩出したアメリカ。

それまでの生き方を捨てる勇気はどのタイミングに出すのがベストだろうか?

ずれた間の悪さもそれも君のタイミング〜♪
カウンター狙うならタイミングがずれては勝ち目は無い。



嗚呼、また迷走 〜 。
この文章何がしたいんでしょう。

ともかくSUPREMEというブランドの帝王学は、軸がブレず目立ちすぎずタイミングが的確ってことではないかと勝手に解釈。
結局、客観的視点に戻る。
それが、人間の思考というものだ。
何秒何分何時間何日何週間何ヶ月何年何十年考えようが結局のところ振出しに戻る。
ループ&ループから脱獄する方法はただ一つ。
変わり続けること、怖れないこと。
それがファッションであり、シュプリームというブランドが生き残れる本質だろう。
まぁ、スケーターだったらもうちょっと説得力出るんだろうけど。。



Lady Gaga Supreme Photoshoot from Terry Richardson on Vimeo.